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2004年04月21日

絶対評価から相対評価へ

今年度より、情報学類の成績評価が、絶対評価から原則相対評価に変更されます。他の学類もそうなるんじゃないかなぁ。割合は、A(優)が3割、B(良)が4割、C(可)が3割です。成績評価の変更なので、評価の対象とならないD(不可)は今までどおりかと思います。

さて、小中の義務教育課程は、相対評価から絶対評価に変わったわけですが、情報学類ではその逆が終わったわけです。なんか皮肉みたいな感じです。小さいときは、競争しないけど、大きくなったときは競争しろみたいな感じ。(この際、誰が決めたとかは除きますよん。)
小さいときの競争による挫折は小さなものだけど、そういった経験のない人の大きくなったときの競争の挫折は大きなものかもしれませんねぇ。僕は挫折とかないような気がするんだけど、競争はずっとあったような気がする。

小さいときの競争は、勝つのが大事なのではなくって、負けたときに如何にするかが大切だと思うのです。要は、それをバネにできるかどうか。そういったことを抜きにして、競争はダメだっておかしな話かもね。大きくなれば、バネにしようが何だろうが、結果が求められるわけで。いきなりそんな社会に出るとしんどいやん。移行期間が大切だと思うのです。

と、くだらないことを書いてみた。

2004年04月21日 00:04 | University

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コメント

こんにちは。どれを見ても絶対評価に賛成の意見ばかりだったので、珍しいと思ってコメントしてしまいました。今、大学で「相対評価をどう利用するべきか」について話し合っています。私は相対評価は必要だと思っているのですが、具体的にどういった場面でつかうのが適切かと聞かれると、考え込んでしまいます。具体的に、どういう時、相対評価を用いたらよいと思いますか?

投稿者 ゆま : 2004年07月19日 19:27

>> ゆま さん
数学など、自明な答えの出る科目であれば相対評価でいいのではないかと思います。極論を言えば、絶対評価がすばらしいのであれば、点数化するような定期テストは要らないと思うのです。

このような言い方をすると、定期テストは、自己の到達度を調べるためにやるのだ。みたいな意見が聞かれそうですが、そういった面があるものの、結局は集団の中での相対的な位置を調べているのに過ぎないと思います。
本当に、自己の到達度を調べるのであれば、教育そのものが、個々に応じたものである必要があると思います。強いて言えば、熟練度別に。

優劣は、相対的につけられるのに、教育だけ絶対評価というのはおかしな話です。絶対評価なんていうのは「井の中の蛙大海を知らず」みたいな感じです。

でも、絶対評価そのものに反対というわけでもありません。自明でない答えが出るものは、相対的な評価はできないはずです。たとえば、美術など。いわゆる一流の人が描いた絵であっても、それがすばらしいと感じるかどうかは、個人個人違います。そういった事柄(美術)などに関しては、絶対評価で評価する方がいいと思います。ただし、評価して終えるのではなく、「他にもこういうやり方(絵)がありますよ。」というフォローはとても大事だと思います。

まぁ。相対・絶対評価云々ではなく、評価した後にどうするかが大切だと思うんですけどね。

投稿者 ceekz : 2004年07月19日 19:43

素晴らしい意見、ありがとうございました。私は、わりと成績の良いほうだったので、相対評価賛成と言うとほとんどの人に「それはゆまが成績いいから」と言われていました。それに、世間でも絶対評価が流行っているので、そういった先入観もあって「相対評価反対」という意見しか聞く事ができませんでした。
私は、今大学生で幼稚園教諭と保育士の資格をとるために勉強中です。そこまで小さい子どもには、評価なんて必要ないだろうと言う人が多いですが、その子をどう見るかといった点で、評価について考えることはとても必要だと思います。自分自身にももちろん必要だと思っています。
やはり、賛成か反対かという事よりも、その理由やその後の事を考える事が重要ですね。
ありがとうございました。

投稿者 ゆま : 2004年07月20日 15:02