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2005年11月13日

マナーの押し付けが嫌いだ

無断リンク禁止の話が、また再燃しているみたい。

僕は、マナーの押し付けは嫌いだ。自分と合わないマナーを主張している人が居れば、静かに立ち去ればいい。主張に止まらず「押し付け」ているなら、反論でもなんでもすればいい。

ということで、僕は、無断リンク禁止を主張している人の肩を持ち、無断リンク禁止の禁止を主張している人を冷たい目で見ることにしてる。もちろん、前者の考え方に賛同できるわけではないけどね。

後者は、主張から「押し付け」に進んでいる場合が多いので、まったく肩を持つ気になれない。考え方には、賛同できるけど… 前者が「押し付け」に進んでいるところを見たことはない(一部教育委員会は区内の学校に押し付けてるか)。

無断リンク禁止を主張する方は、自身のマナーを遂行するために、他者に「僕のページに勝手にリンクしないでほしい」と主張します。間違っても「君のページも無断リンク禁止にするべきだ」などと主張しているところは、見たことありません。ま。僕の行動エリアが狭いということも否定できないけど。

逆に、禁止の禁止を主張する方は、無断リンク禁止主張者に「君のページの無断リンク禁止は止めるべきだ」と主張しています。直接言わなくとも、何らかの方法で晒し上げるのが大好きみたいですね。一部だと思いますけど。

自分のマナーそのものを他の人に主張しだすと、それは押し付けに近いものとなって、僕は大嫌い。なので、後者の禁止の禁止を主張する方々を冷たい目で見る。そして、僕自身も冷たい目で見られると…

自身のマナー遂行のための主張を「押し付け」とみるかどうかが、大きな分かれ目でもありそうだ。「押し付け」とみるなら、この文章自体が、まったく意味を成さない。ということで、僕は「押し付け」とみない。

実際問題として、マナーとルールの境界があいまいで、後者は「ルール」を主張しているだけなんでしょう。「ルール」って互いが気持ちよくすごすために存在しているわけで、そうでないものは「ルール」じゃ無いと思う。というか、双方の同意があってこそ「ルール」でしょう。なので、リンク自由は「俺ルール(≒ マナー)」レベルなのでは。インターネット上で、「ルール」を形成すること自体が難しい。なので、変に細かいことが法規制されるのだと思う。

つーか、無用な争いを好んでする方が多いですね。相手が無断リンクが嫌だと言ってるなら、そっとしておけばいいのに。いわゆる、モヒカン族なんですかね。知らんけど。多分、無断リンク禁止を野放しにすると、将来は、リンク禁止でいっぱいになる!自由なネットライフが制限される!と危惧しているのでしょう。僕も危惧してます… そんなことより、自分のマナーを押し付ける方が増える方が嫌なんですけど。

好戦的になるのは、無断リンク禁止主張者が、自身のマナー遂行のために「僕のページに勝手にリンクしないでほしい」という主張をするわけですが、それが、変に感情的になっている場合が多いからか。とはいっても、どっちも感情的だと思うんだけど。

実社会での「ルール」として、「他人の嫌がることをしちゃダメ」というのがありそうなんだけど。これは、ネットでは適用できないのか!真面目に「ルール」形成について研究した良い論文があったらプリーズ。

あー。無断リンク禁止の原点って、批判に慣れてないことかも。

と。僕もマナーを主張してみました。賛同できない方は、ぜひスルーしてください。

2005年11月13日 20:11 | Etc

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このリストは、次のエントリーを参照しています: マナーの押し付けが嫌いだ:

» 「押しつけ」はどこから始まっているのか from (遊) あそびや(asobiya)†★
「マナーの押し付けが嫌いだ - Ceekz Logs」と、そのコメント欄を読んでみての感想です。 まず、リンクという行為が、リンクされるサイトへの干渉行為なのか... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年11月14日 10:55

» 無断リンク禁止に関する雑感 from むだづかいにっき♂
マナーの押し付けが嫌いだ - Ceekz Logs僕は、マナーの押し付けは嫌いだ。自分と合わないマナーを主張している人が居れば、静かに立ち去ればいい。主張に... [続きを読む]

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» [雑記]無断リンク禁止というわがまま(2) from 酔狂人の異説
無断リンク禁止については、16日のエントリで紹介したものとは別の流れでも続いていた。 http://private.ceek.jp/archives/001... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年11月19日 07:18

コメント

「無断リンクはやめてください」という人に「無断リンクを禁止するのが当然だというニュアンスで主張するのではなくて、お願いであるという正確なニュアンスで書いてください。その禁止宣言を見て誤解する子供が居て教育に悪いので」とか「無断リンク禁止を宣言しても脆弱ですよ」とおせっかいをするのは「仕方の無い押しつけ」であると思います。
それは、まるで高木浩光氏が脆弱なWebサイトのセキュリティを指摘したり、ITマスコミが価格.comの情報隠蔽姿勢を批判したり、ScopeのユーザーがプログラマーズファクトリーのPOP3パスワード脆弱性を隠す姿勢を批判したりするようにな「間違った危険なデマが、常識として広まらないような啓蒙活動」だからです。

高木浩光氏が脆弱性を指摘する活動を「押し付けで賛同できない」という意見であれば、このエントリーの主張は仕方が無いと思います。
ただ、もしceekzさんが高木浩光氏の活動に賛同できると仮定したら、「無断リンク禁止は当然というデマ蔓延を啓蒙すること」とセキュリティ啓蒙の違いがどこにあるのかを知りたいです。
(無断リンク禁止がまかり通ると脆弱であると私は思います。これは「押しつけ」とは無関係な論点ですが、重要な事だとも思います。危険だからマナーに頼らない自衛策を広めると言うのは必要だと考えています)

投稿者 otsune : 2005年11月13日 23:50

>> otsune さん
コメントありがとうございます。
まず、僕は高木氏の活動に賛同できます。書き方に少々嫌悪感を感じますが、強い意志を持って啓蒙活動をしているのだな。と理解しています(私のように変に逃げ道を作らない)。

otsuneさんは、「無断リンク禁止は当然というデマ蔓延を啓蒙」と「セキュリティに関する啓蒙」が同じ次元であると考えているのに対して、私は、違う次元にあると考えています。

セキュリティに関する問題は、放置すると、既存の法律に抵触する可能性があるということと、当事者以外に大きな迷惑がかかる可能性が高いということ。逆に、無断リンク禁止を放置しても、既存の法律に抵触しないし、他人にも迷惑がかからないから。

余談ですが、「価格.com の情報隠蔽姿勢」は悪いと思いますが、その姿勢を変えろ。とは思いません。利用者が適切に判断すれば良いと思うからです。(こういう考えが逃げなのかもしれませんね)

投稿者 ceekz : 2005年11月14日 02:31

私は「マナーとして無断リンクはするべきではない」という人達が増えて蔓延したら、他人にも間接的に迷惑がかかると思います。
残念な事にそれの蔓延を放置すると、裁判などの場でも「経緯と理屈ではおかしいが、世間では○○という行為や思考が蔓延していて、社会通念上おかしいとは言えなくなっている」という理由により、曲がった理屈が通ってしまう事があります。これは懸念としてはかなり強いでしょう。

高木浩光氏が嘆いているのは「そんな細かい事を気にしない大勢のユーザー」が含まれていると思います。価格.comやプログラマーズファクトリーが「セキュリティは隠したもの勝ち」戦略を取るのは、まだ多くのお客に脆弱ではない判断法(知恵)を啓蒙しきっていないからだとおもいます。
これは例えば「このブラウザは脆弱性報告件数が少ないですよ。だからFirefoxよりもセキュアですよ」というハッタリ宣伝が蔓延すると、脆弱性を隠したもの勝ちになってしまう。だから「脆弱性をたくさん公表している組織はかえって信用できますよ」という「知恵」の啓蒙をし続けることと似ています。

個人的にマナーに従う事を脆弱性を自覚した上で*あえて*選択するのは全く問題がありません。
そういう人達は仮に押しつけがあったとしても「はい。脆弱なことと教育に悪いことは分かりました。でも私はあえてマナーとして無断リンクを禁止したいと思います。それらのデメリットについては誤解されないように無断リンク禁止のお願いと一緒に明記します」などと対応してくれるでしょう。(感情論については別の話として)

投稿者 otsune : 2005年11月14日 03:17

>「無断リンクを禁止するのが当然だというニュアンスで主張するのではなくて、お願いであるという正確なニュアンスで書いてください。その禁止宣言を見て誤解する子供が居て教育に悪いので」とか「無断リンク禁止を宣言しても脆弱ですよ」
まず最初に言っておくと、このような主張をしている人はごく少数だということ。大多数の人は「無断リンクを禁止するというメッセージを掲げる事はあなたにとって損である」というのではなく、
「無断リンクを禁止するのは"WWWの精神"に反している!」
とか、
「無断リンク禁止を主張する事は他人の言論の自由を侵害する!」
とか、
「無断リンクを禁止する事は社会の利益に反する」
とか、
「無断リンク禁止を主張する奴は気持ち悪い」
という、otsune氏の言うこととは全く違う論法を持って無断リンク禁止派を批判していたり、記事を書くまではいかなくてもはてなブックマークのコメント欄でそのような論法の記事を好意的に取り上げる訳です(これらの論法が如何に馬鹿らしいものであるかは
http://d.hatena.ne.jp/rir6/20050710/1120937549

http://d.hatena.ne.jp/rir6/20050713/1121198432
で説明しました。「具体的にどんな人間がそんな主張をしてるのよ?」と言う人はこれらの記事を見てください)。そして「無断リンク禁止派」に対する批判に比べると、このような論法を弄する馬鹿への批判は殆ど無かったのです。その意味で今回のこのBLOGの記事はとてもユニークで貴重なもので、凡百の無断リンク禁止批判の記事の千倍は価値がある記事だと思います。

次に、確かにそれでもごく少数の人はotsune氏の言うような論法で記事を書きます。しかし彼らはその様な論法を書いた次にこう書くのですね。
「よって無断リンク禁止を主張するのは損なのだから、無断リンク禁止派はその主張を撤回"すべき"であり、彼らは"教育"によって改悛させるべきだ」と。
これは「損なことはしてはいけない」ということを押しつけているのであって、つまり「愚行権」を"教育"(対話ではなく教育であることが重要)によって奪うということなのです。愚行権を何故(教育などの手段によって)奪ってはいけないかは、政治学などの分野で散々説明されており、Googleでもちょっと検索すればすぐそのような記述を見つけられるでしょうから省きます。
また、もし本当にotsune氏の言うように、無断リンク禁止を批判する記事が「善意」によるものであるならば、何故メールなど非公開な手段で教えるのではなく、公開の場で個々人の「無断リンク禁止」というメッセージのことをを殊更に騒ぎ立てるのでしょうか?チャックが開いている人間に対してぼそっと「チャックが開いてるよ」と耳打ちするのは確かに「善意」でありますが、チャックが開いている人間に対し公衆の面前で「こいつチャック開いてるぜー」と大声で指を指しながら叫ぶ事は、いじめであって決して許される事ではないのです。

更に、otsune氏はあくまで一般論に沿って「無断リンク禁止のメッセージを掲げる事は損である」と主張していますが、しかしそれはあくまで一般論であって、当然例外もあり得ます(というか例外の方が多いと言っても良い)。そりゃ確かに私達のコミュニティから見れば無断リンク禁止を掲げて弾劾を受けるサイトばかりが目に付く訳ですが、しかしそれは凶悪な少年犯罪が目に付くから少年が凶悪化している、というのと同じぐらい単純な思いこみです。「無断リンク禁止」というメッセージを掲げるサイトの大部分は騒動なんて起きることなく平穏なホームページ管理を行っている訳です。この様な経験知は決して無視出来ない筈でしょう。
何故「無断リンク禁止」というメッセージは脆弱な筈なのにこういう現状が存在するのか?理由は単純です。ネットの世界は「いい奴ばかりじゃないけど、"悪い奴ばかりでもない"」からです。そんなに論争的な文章を書かなければ、「『無断リンク禁止』なんて言うメッセージを掲げてる奴はいねーかー」なんて粋がる奴ら(一番最初に述べた論法を使う奴らはまさにそんな連中でしょう)は殆ど来ません。そして逆に「無断リンク禁止」というメッセージを掲げる事により、「何も書かれてなければ無断リンクするけど、無断リンク禁止と書かれているページには断りを入れてからリンクする」というネットの大多数を占める良心的な人に断りを入れてもらえるというメリットが「無断リンク禁止」というメッセージにあることも又事実です。そしてそのメリットは―ある種の人々にとっては―結構大きなものなのです。
これは「試供品」と良く似ているでしょう。人の多いスーパーにおいては試供品の周りには必ず人が居ます。何故なら人が多いとそれだけ試供品をそれ本来の目的以外の目的(つまり「味を確かめる」のではなく、「空腹を満たす」という目的)の為に食そうとする人が居る確率も高くなるからです。しかし人の少ないスーパーにおいては人が常時付いていない試供品も少なくありません。何故なら人が少ないために試供品をそれ本来の目的以外の目的の為に食そうとする人が居る確率も少なくないからです。しかしモヒカン族と言われる人々は、そういう人の少ないスーパーにどかどかと入ってきて、「試供品を人もおかずに放っておいたら危ないぞー」とか言いながらばくばく食べる訳です。そのような人間が正当化出来ないのは言うまでもありません。

なお、最後に一応言っておきますが、僕は別に無断リンク禁止派の全てが正しいとは言っていません。というか「無断リンクは禁止すべきだ」(=ムラ社会)/「無断リンクは容認すべきだ」(=モヒカン族)という一般論を立てる事自体おかしいと思っています。人はみんな違う考えを持っており、ホームページもそれぞれ違う性質を持っているのですから、その考え・性質を無視して一般論を打ち立てたってそんなものに何も正当性はないのです。

投稿者 RIR6 : 2005年11月14日 03:21

>私は「マナーとして無断リンクはするべきではない」という人達が増えて蔓延したら、他人にも間接的に迷惑がかかると思います。
>残念な事にそれの蔓延を放置すると、裁判などの場でも「経緯と理屈ではおかしいが、世間では○○という行為や思考が蔓延していて、社会通念上おかしいとは言えなくなっている」という理由により、曲がった理屈が通ってしまう事があります。これは懸念としてはかなり強いでしょう。
「曲がった理屈」
というのはつまり
「無断リンクを禁止するのは"WWWの精神"に反している!」
ってことなんでしょうねぇ……(あー馬鹿らしい)。

所で上のceekz氏とotsune氏の議論を聞いていると、何かotsune氏は暴力映画規制を求めるPTA並に「教育のことを考えろ」と言っていますが、「教育のことを考えて発言する」というのは確かに「した方が良い事柄」ではありますが「全てにおいてしなければならない事柄」では無い筈です。それともotsune氏は、世の中から全ての非教育的な言論が消滅する事を望むファシストなのでしょうか。
「脆弱・教育に悪い」という事柄を「無断リンク禁止」に対し併記することを義務づけろというのは、「無断リンク禁止」を全国の小中学校に義務づけるのと同じぐらいおかしなことでしょう。何故ならそれは個々人の発言の自由を奪っているからです。「無断リンク禁止」を主張する事は別にそこに義務を強いる権力関係はありませんから言論の自由とは何の関係もありませんが、「無断リンク禁止」を義務づけたり「脆弱・教育に悪い」という事柄を「無断リンク禁止」に対し併記することを義務づけたりすることは、その義務によって権力関係が作用しますから、言論の自由を侵害するのです。

投稿者 RIR6 : 2005年11月14日 03:59

マナーの話が、無断リンクの話へと…
無断リンクに関して、海外の事例に詳しい方は居ませんか?

>> otsune さん
前提というか、希望として『「マナーとして無断リンクはするべきではない」という人達が増えて蔓延』が起こらないと思っています。なので、こんな主張をするわけです。

「何で起こらないと思うの?」とか聞かれると、それまた回答が難しいんですが、いつまでの「技術者(≒ リンク自由主義者)」が主導権を握っていられると思っているからです。技術者の主導権が奪われたとき、インターネットの発展も望めなくなるわけですし。

もしも蔓延してくれば、すぐにでも、このエントリーの考え方を捨てて、別の行動をとることにします。(手遅れになるかならないかの見極めが重要ですが)

あと、情報科の教員免許取得を目指していることもあり、教育とネットでのマナーについて、非常に関心があります。後日、別のエントリーでも立てればと思っています。

>> RIR6 さん
コメントありがとうございます。
少々感情的になっているかと思います。言っても居ないことに答えることは、議論を発散させる危険性が高いです。どうか、平時に戻ったときにでも、要点をまとめ、自身の主張をトラックバックにでも送っていただければと思います。

> 何故メールなど非公開な手段で教えるのではなく、公開の場で個々人の「無断リンク禁止」というメッセージのことをを殊更に騒ぎ立てるのでしょうか?

これには、非常に同意できます。
無断リンク禁止の禁止を訴えている一部の人が、そのような態度をとっているのに目がついたのかもしれません。というか、そういう醜態の原点は何なのか?ということを考えたのが、このエントリーです。

なんか、数年前の自分を思い出しました(とある掲示板で、少年法に関する議論をしていたことを… 今とHNが違いますが)。

投稿者 ceekz : 2005年11月14日 04:57

「法的な禁止する権限の無い者が、まるで権限を持っているかのようにふるまうことが、Web サイト上では許容されている」かの印象を与えるので、問題であろう。

たとえば、鉄道会社が「弊社の敷地内での喫煙を禁止」と主張したり、国会が「不正アクセスを禁止する法律を作った」と主張したりするのは、それらを禁止する権限のある者が正当にそれを行使しているので、当然の行為である。

Web サイトの管理者が「無断リンク禁止」と主張しても、その管理人には禁止する権限は法的に無い。しかし、それを見た善意の無知な第三者は、「なるほど、法的には、Web サイトの管理人は、そのサイトへの無断リンクを禁止する権限を有するのか。」という誤った認識を持つ可能性があって、さらに自らが Web サイトを公開する際もその「法的には存在しない権限」があるかのように錯誤して同様の記述をする可能性もある。

このような「法的根拠のない権限」を主張する Web サイトの管理人が増え、さらに各管理人は「自分には権限がある」と錯誤しているのだから、当然「そのページに特に断り無くリンクをする」という行為を行った別の第三者に対して、本来、勘違いしていなければ発生する必要がないトラブル (根拠の無いクレームや感情的な攻撃など) を発生させてしまう。それらのトラブルの総和は、世界全体ではかなりのエネルギーの浪費である。

そういったトラブルは、各 Web サイトの管理人が、自身には無断リンクを禁止させる法的権限など無いことを正しく理解していれば、防ぐことができるものである。

したがって、「無断リンク禁止」を主張することに関する議論は「マナー云々」のような話ではないと思う。
「権限の無いものが、あたかも自分に権限があるかのように周囲の人たちを誤認させる行為を、それを目撃した人は放置せず是正したほうが良いのではないか。」という主張で、その主張によって錯誤している人の数が減るかもしれないのであれば、結構なことではないだろうか。

投稿者 SoftEther : 2005年11月14日 11:31

揚げ足取りっぽくて申し訳ないのですが、
>希望として『「マナーとして無断リンクはするべきではない」という人達が増えて蔓延』が起こらないと思っています。

それは、無断リンク禁止への批判がちゃんと機能しているからなのでは?
「批判する行為が続いている限り、批判する側が心配する事態にはならない」と同義の意見に見えましたが。
それでいて、批判する行為に異義を唱えるのは矛盾に感じられます。
批判する行為を停止しても、蔓延しないとお考えでしょうか。
また、知識ある人間がネットリテラシーの向上を願い行動する事をやめた場合、誰がその役目を担うべきだとお考えですか。

投稿者 root : 2005年11月14日 12:17

まあ根本的な話ですが、
「他人の嫌がることをしちゃダメ」
というのは絶対的な価値観ではないと思っています。人に迷惑をかけないという価値観は、往々にして、「間違ったこと、変なことをしている人でも放置すべきだ」という、このエントリーのような結論に至りますからね。「よけいなお世話」として忠告に耳を傾けず、俺ルールを押し通すいいわけとして「人のいやがることをしない」という言葉を使うことは避けるべきだと考えます。
まあspamとかは単純に受ける側が迷惑なんでやめろと言いますが、でも、送信する側からすれば「spamをやめろ」と言われることも「いやなこと」なんじゃないですか? 要するに「迷惑」っていうのは相対的な価値観でしかないわけです。
たとえば私が「無断リンク禁止を主張されるのは迷惑だ、いやだ」と言ったら、やめてくれるんでしょうか? 宿題はいやだと生徒がいったら、宿題を出さないのがいいことなんでしょうか?
というわけで、「人の嫌がることをしない」っていう言葉だけに反応してみました。

まあ合理的な理由を示してもらえればいいんですが、単に勘違いして無断リンク禁止って言ってる人が多すぎますね。啓蒙活動こそが必要なことではないかと思います。

投稿者 松永 : 2005年11月14日 15:59

無断リンク禁止が何でいけないかっていえば
wwwがそういう技術じゃないからだよ。
公開した文書はリンクされることを前提に作られるはずなので、自由にリンクできるように、簡単にリンクできるようになってるの。
だからリンクには技術的な壁がまったくといっていいほどつくられて無いわけ。
無断リンク禁止禁止=リンクフリーっていうのはマナー云々じゃなくて前提なの。


たとえばリンクが嫌っていわれても、それじゃそもそも何の為におまえ公開したんじゃい、って話。
見られるためにリンクされるためじゃないんかい、って話。


それでも某日本橋だかなんだかみたいに身内だけで引きこもってオナニーの見せ合いをしたいんですっていうならsnsでもつくって勝手にやるかどうかしてくれとしかいいようがない。

投稿者 ぽいうytれwq : 2005年11月14日 17:09

コメントが遅くなりました…
しかも、あまりやる気がなくってすみません m(_ _)m

ルールとは何だ?という話題を別エントリーでそのうち作成します。

>> SoftEther さん
「リンク自由」も法的に決まってるわけじゃないジャン!
と一瞬思ったのですが、ひっこめます。法律は、できることを決めるのではなく、できないことを決めるものですからね。

> それらのトラブルの総和は、世界全体ではかなりのエネルギーの浪費である。

「風が吹いたら桶屋がもうかる」を真面目に議論するのも面白いかと思いました。

話は変わりますが、このコメントは「ソフトイーサ株式会社」の公式見解ですか?

>> root さん
コメントありがとうございます。

> 批判する行為を停止しても、蔓延しないとお考えでしょうか。

「批判」を止めると、蔓延すると思います。しかし「押し付け」を止めても蔓延しないと思います。どこまで「批判」で、どこから「押し付け」なのか。という別問題が発生しますが。

> また、知識ある人間がネットリテラシーの向上を願い行動する事をやめた場合、誰がその役目を担うべきだとお考えですか。

誰も担う必要が無いと思います。
好き好んで、ネットリテラシーの無くなったネットというフィールドに居続けるのなら別ですが、僕なら、次なるフィールドを探して旅に出るので、もうネットのことなんか考えません。

モヒカン族大移動みたいな。意味わからんな…

>> 松永 さん
コメントありがとうございます。
「他人の嫌がることをしちゃダメ」という一言をとっても、いろいろと議論の余地があることが面白いですね。日常の何気ない「常識」を議論することにより、知的な遊びができそうです。(AC がたまにやってますが)

合理的であっても、納得できないことは多くないですか?理解できるんだけど、納得できない。というモヤモヤした感じ。

>> ぽいうytれwq さん
コメントありがとうございます。

> wwwがそういう技術じゃないからだよ。

納得なのですが、そういう主張をする方は、なんとなく高圧的な方が多いような気がします。「技術的にそうだから」「(俺)ルールはそうだから」みたいに、表面しか言わない方が多い。

> たとえばリンクが嫌っていわれても、それじゃそもそも何の為におまえ公開したんじゃい、って話。
> 見られるためにリンクされるためじゃないんかい、って話。

それは、自分の知り合いが簡単にアクセスできる。からだと思います。知り合いが簡単にアクセスできるのだから、自分の知らない人も簡単にアクセスできる。というところまで気づかない人が多いから。

とすると、無断リンク禁止を訴える人は、ネット初心者ではなさそうな気がしてきた。誰にでもアクセスできるということに気がついて、どうやれば制限できるかわからないから、技術的ではなく「感情的(お願い)」にを訴えると。初級者くらいかな。

投稿者 ceekz : 2005年11月15日 06:29

> 話は変わりますが、このコメントは「ソフトイーサ株式会社」の公式見解ですか?
そんなのを 1 個人の blog に書くわけないでしょ。

投稿者 SoftEther : 2005年11月15日 11:23

> 「リンク自由」も法的に決まってるわけじゃないジャン!
> と一瞬思ったのですが、ひっこめます。法律は、できることを決めるのではなく、できないことを決めるものですからね。

「無断リンク禁止」などを主張する Web サイトがあったとして、その管理者と、それに対してリンクを張ろうとする者との間で、事前の双方の合意によって、無断でリンクは張らないという契約を結んだ後であれば、法的にその者は当該サイトには無断リンクを張れなくなるという強制力が生じ、管理者にはその者に対して無断リンクを禁止する権限が生じると思われる。

しかしほとんどすべての Web サイトについて、そのサイトにリンクを張ろうと思った者と、サイト管理者との間に「事前の双方の合意」は成立していない。

したがって、その他の法令・公共の利益・公序良俗・名誉信用の維持 などに反しない限りは、言論の自由は問題なく行使可能で、「この URL にこのような Web サイトがある」と別の Web サイト上に執筆する (リンクを張る) 行為 (…) には問題は見当たらない。


自分のサイトのコンテンツ単位の URL を公開する (リンクを張る) ことを禁止する権限を管理者が持っているかのように誤解させる内容を意図的に主張する (…) サイト (無断リンク禁止サイト) が時々あるが、確かにそのような表現を書くことも言論の自由の行使である。

しかし,両豺腓和召慮益を侵害していないが、△両豺腓蓮峺限の無いものが、まるで権限を持っているかのように公衆に誤解させる」という作用を持つ内容が含まれるため、公共の利益 (多くの人ができるだけ法的に正しい知識を持てること) および公序良俗 (互いに対等な権限を持つ私人同士の関係の維持による平等性の確保) を社会的に低下させてしまう可能性がある。

したがって、 のような主張を自己の Web サイトに誰でも読める形で書き込むといったことは、批判の対象になるべきである。

投稿者 SoftEther : 2005年11月15日 11:43

 小さな子供達が狭い歩道で長なわとびをしていたとしましょう。歩行者がそこを通ろうと近づくと、「ここは私達の陣地だし通行禁止だからね!」と子供達。とはいうものの相手は子供、無視して端の方を通れば通れないということもない。子供達も別段実力行使で通させまいとするわけではない。ただ、言論の自由を行使してそう言っているのみである。
 だけど歩行者からすればやっぱり気分が悪い。なにしろ通り過ぎた後ろでは「最近無断で通行する大人が多いんだよねぇ。こまるよねぇ。そうだよねぇ。」なんて好き勝手なことを言っているのが耳に入る。
 やっぱり、「キミたちそういう事は言うもんじゃぁないよ」と。「『もうちょっとで長なわ100回だからちょっとだけ通るの待ってください』とかそういう言い方しなさいよ」と。教えてあげるのは大人の義務でしょう。

 ceekzさんの意見ではマナー対マナーの対立と見ているようだけど、実際は「無断リンク行為」はマナーとしての規範ではありません。社会にもともと存在していたあらゆる規範(含む個々の慣習やマナー)を踏まえたその最大公約数、これはだけは共通して守る方向で行きましょうという、社会の大原則(憲法)に則った規範です。ですから、「無断リンク禁止」を咎める人は他の何某かのマナーを採用させたいのではなく、「あなたのマナーは社会原則から外れていますよ」という点を指摘しているわけです。
 もちろん、最近話題となった大峰山のように、その地域特有の事情とそこに関わる利害関係者の総意によって、大原則に反するような規範というのも存在しますし、そこに意義はあります。
 しかし、例えばアクセスが多すぎてサーバー負荷が高くなって困っているとか、そういった特段の事情が明らかでない限り、「無断リンク禁止」という社会原則に反したマナーは、いわゆる「俺ルール」としか見なされません。もちろん言論の自由を行使する事は可能ですが、すっとんきょうな言論や勝手なマナーはやはり社会の批判を浴びるのも当然のことです。

投稿者 hal* : 2005年11月16日 14:01

>> hal* さん
コメントありがとうございます。

> やっぱり、「キミたちそういう事は言うもんじゃぁないよ」と。「『もうちょっとで長なわ100回だからちょっとだけ通るの待ってください』とかそういう言い方しなさいよ」と。教えてあげるのは大人の義務でしょう。

無断リンクを咎める方は、そのようにやさしく注意せずに、他にも仲間を呼んで、子供たちを虐待しているように見えます。それが、正義であるかのように。
もちろん一部だと思いますが。そういう一部が目に付いたので、今回のエントリーを作成しました。
# 書きたいことがたくさんあって、たくさん書いた結果、わけのわからない文章になってしまいましたorz

> 実際は「無断リンク行為」はマナーとしての規範ではありません。社会にもともと存在していたあらゆる規範(含む個々の慣習やマナー)を踏まえたその最大公約数、これはだけは共通して守る方向で行きましょうという、社会の大原則(憲法)に則った規範です。

無断リンク禁止には賛同できませんが、そのように「もともと存在している規範」という考え方にもいまいち賛同できません。
もちろん、ネットができたころからある精神なのですが、もう古くなってきてるのではないか?とも思うわけです。自由にリンクができる(される)精神を良いことと考える人も居れば(僕も思う)、その精神をあまり快く思わない方も増えてきてるわけでしょう。
# RFC をちゃんと読んでいないので、あえて「精神」という言葉を使用しています

いまだからこそ、この自由にリンクができる(される)精神がインターネットにどのような影響を与えているか、考える必要があると思っています(無制限に認めていいのか?など)。無断リンク禁止の禁止を訴える方は、あまりにも「自由なリンクは自明である」というのがにじみ出すぎて、少々違和感があります。

投稿者 ceekz : 2005年11月16日 15:27

 ええと、「もともと存在している規範」というのはもっと大きく、具体的に言えば大日本帝国憲法が出来る前の規範、とか戦後の憲法が出来る前の規範という意味です。例えば江戸時代は士農工商えたひにん、という身分社会で成り立っていて今から考えればちっとも平等な社会ではなかったけれど、別に不幸せの蔓延した暗黒社会ではなかったことでしょう。だけど開国してWorldWideな社会の中の一国として歩みだした時、「自由と平等」を掲げた憲法を作って、それを全ての社会規範の拠り所にする仕組みがいいんじゃないかと、七転八倒の末決まったわけです。
 憲法の下には法律があって、その下には社会通念に基づいた規範があって、その下には町内の決まりだったり家族の約束事や個人の倫理観等があります。憲法や法律を決めるにあたっては、もともとある規範を十分参考にして作られますが、しかし一旦決まった物は尊守するというのが社会の大前提です。たとえそれが多少不便だったり、自らの権利が侵害されているようなものであっても、正当な手順を踏み、不断の努力によらなければ、法や憲法を覆すことはできません。

 さて、無断リンク禁止という要求は他者の表現の自由を制限する意思を持った言葉です。もしもそのサイトにアクセスする全ての他者が「リンクの自由なんて権利はなくてもいいや」と考えているとすれば、いくら憲法の文言に矛盾するからといってもリンク禁止の倫理観が成立するでしょう。
 現在の憲法や法の範疇を越えて成り立っている規範には、例えばメディアの自主規制という規範や、件の大峰山における慣行などの例が挙げられます。しかしそれらは、その関係者間での話し合いを経て合意を得ている者同士だけに通じる規範なのであって、それがどんなに素晴らしい規範であっても、合意を取り付けていないその他一般に向けて強いることはできないのです。

 そういうわけで、無断リンク禁止という文言を一般へ向けて発した場合、これは憲法に反し、且つ合意の無い制限なので、一般に尊重されるべき倫理規範とは言えません。にもかかわらず「キミの自由を今から制限する」などと言われれば、誰でも反感を持つのは当然です。
 もしも無断リンク行為が好ましくないと考える人がいて、自由を制限したいと考えるのならば、例えばプライバシー権によって他人の個人情報を公開する自由を規制するように、自由権と相反する何某かの被リンク者の権利を主張するか(無いなら作ってもよい)、又は無断リンク行為が自由権で保護されない事を証明しなければなりません。それを全部すっとばして、リンクの自由なんて無い方がいいとか、読者に向けて「あなたの自由権の行使を禁止します」などと言うばかりであれば、やはり反感を買ったり、社会規範を乱す者として批判されるのは当然のことでしょう。

 長くなってしまいました。私は、問題は、反感を持って批判する人の品位のだけだと思います。そうしてどんなに下品な人が主張をしていても、無断リンクの良し悪しには無関係だと思います。

投稿者 hal* : 2005年11月16日 23:08