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2006年03月13日

反社会学講座

反社会学講座

「反社会」学ではなくって、反「社会学」という本です。ウェブで公開されている内容を加筆修正するとともに、データを最新版に差し替えたとのこと。

オトナ社会の紋切り型にメスを入れる「反常識の知」。面白くってタメになる、禁断の知的エンターティンメント!

ということで、エンターテイメントです。決して、こっちが正しい!向こうが間違えてる!といった内容ではなく、こういった見方も出来るよ!ということを教えてくれる書籍です。もちろん、流れとしては、いわゆる社会の本流が間違いとして扱われますが…

反社会学の目的は二つです。第一に、社会学という学問が暴走している現状を批判すること。第二に、不当な常識・一方的な道徳・不条理な世間体から人間の尊厳を守ること。

という事で、危ない内容ではないということを理解していただけますか。出来ない?

社会学は、基本的に非科学的な学問であると著者は述べています。

まー。メディアで語る、社会学者の話を聞いていても、感情論じゃね?つーか、その根拠はなによ?ということが多々あります。その話に対して、コメンテーターがトンチンカンなコメントをするので、もっとおかしな方向に…

非科学的ではありますが、統計データに基づいた分析は行われます。ただし、統計から読み取る内容は、人それぞれなわけなんですよね。なので、世間一般で受け入れられている(洗脳されている?)考え方とは違った考え方もできるわけで、そういった見方を面白く書いています。

というか、根拠がどうのこうのよりも、文章が面白いです。

日本人は基本的にコミュニケーションを嫌います。他人に何かを頼むという単純なコミュニケーションさえ恥だと感じます。

コミュニケーションが嫌いというか、「ギブ」のみで「ギブ&テイク」が出来ないことを恥だと思うんじゃないかな。「ギブ」した人が、「ギブ」された人に直接「テイク」しなければいけないという事にこだわっているような気がする。そこまでテイクを求めないのも日本人だと思うけど、不思議ですねぇ。

日本には、人の能力は平等で、努力によって結果が決まるという考えが根強く残っています。

ジェネラリストを作ってきた日本の教育の弊害か?精神論を語る方が多いのも、これに通じますね。平等であるのは、「機会」かな。もちろん、その「機会」は一番下の部分です。能力が無ければ、上のほうの「機会」にたどり着くことは出来ません。これが、不平等であると言えるか…

努力するのは宝くじを買うのと同じです。買わなきゃ永遠に当たらないし、買っても永遠に当たる保証はありません。

という言葉がいい。「努力しても成功するとは限らない。しかし、成功しているものは、必ず努力している。」という言葉が好きだったのですが(はじめの一歩に出てたような気がする)、これに代わりそう。宝くじの話の方が、堅くないしね。

という事で、ウェブページにほとんど載っていますが、ゆっくり読みたい人は、書籍がお勧めです。

【関連商品】
反社会学講座 (パオロ・マッツァリーノ)

【関連情報】
・スタンダード 反社会学講座
 http://mazzan.at.infoseek.co.jp/

2006年03月13日 04:48 | Books

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