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2007年03月16日

大学のエスノグラフィティ

大学のエスノグラフィティ

教職論で紹介されていたので購入しました。

初めの方は、文章の文体に慣れずに読みにくかったのですが、読んでいるうちに慣れてきました。というか、途中で文体が変わっている気がします…。

第1章 ゼミの風景から
第2章 大学教授の一日と半生
第3章 大学の快楽と憂鬱
第4章 大学人の二足のわらじ

全部で4章に分かれていますが、一貫して、著者の経験から書かれています。憶測(?)が少なくて好感が持てました。今日の書籍は、「○○らしい」という想像に基づく記述が多くてうんざりなのです。

あ。著者は、文化人類学者です。

もっとも大学らしい知の形式とはゼミのことです。

いわゆる理系の場合もそうなんでしょうか?ゼミというのを経験したことがないので何ともいえないのだけど、友人と様々な分野について議論や討論することは、かなり楽しく感じています。

「勝ち負け」という感覚があるほど、ゲームとして楽しめるのです。

一般論として提案すれば、色っぽい話、スキャンダラスな話としてではなく、やはり、大学のセクハラはまずは性的要求は別にして「アカハラ」としてとらえないと、とんた誤解、居直りを生むように思えます。

教員の感覚と学生の感覚には差があるので、まずは、圧力を感じた学生側に立って「アカハラ」と捉えるように提言しています。「セクハラ」は、性的事象な云々にフォーカスがあたり、共通して感じる「圧力」を置き去りにする危険性が高いということらしいです。

早い話、「セクハラ」を訴えて「性的事象」の認定がされなかったら、同時に感じていた「圧力(嫌な思い)」もなかったことにされてしまうということですね。

世間は日本の学問を過小評価していますから、実はこういったことをしているのだ、と広報活動さえしっかりすれば、これまでやってきたことの延長線上で十分です。

「科学技術立国」の名の下、大学の再編やプロジェクトの大型化が進んでいるのだけど、そんなことしなくても広報活動をしっかりして、世間に「現状」を理解してもらうのが先じゃない?というお話。

「良いものが必ず売れる」論に似た感じで、どうも「広報活動」はどこでもないがしろにされる傾向があるようで…。

ということで、文系(?)大学教授の生態が分かるかもしれません。大学の裏側が少し見えて面白かったです。教員の目指すかどうかは関係無しに、お勧めしたい書籍です。

ページ数: 201
読書時間: 3:21 (1.00 p/min)

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2007年03月16日 23:27 | Books

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