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2007年03月25日
論理的でも非論理的でも良い
ソフトイーサの登くんが面白いことを書いていた。論理的思考を放棄しようというお話。
複雑で難易度の高い作業においては、例えコンピュータプログラミングなどの超論理的な結果を得るための作業でも、「論理的な思考」はほとんど不要である。
彼の提言(?)への反応を見ていると、なぜか梅田氏の言葉を思い出してしまった。
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
という言葉ね。
思ったことがあったので、少し書いてみようと思う。
論理的思考による作業というのは、誰にでも開かれた機会のようなものだと思う。例えば、作曲をするには論理的な思考でも十分可能なはず(出来はおいておいて)。和声法とかの組み合わせね。でも、きっとそこには壁みたいなものがあるんじゃないかな。
なんつーか、日常に存在するものは、すべて「論理的」でも「非論理的」でもいいと思う。「論理的」にすれば、体系が決まってるので誰にでも可能。でも、きっと壁があって、それを超えるためには「非論理的」にならないといけない。
プログラミング、作曲、演奏、恋愛、デッサン、会話、プレゼン。なんだって、論理的にも非論理的にもできるだろうと。でもね。「論理的」の方が楽ですよ。失敗したときの言い訳が楽チン。自分に言い聞かせるのも楽チン。
あと。彼の提言って、いわゆる「物事をポジティブに考えるといい事あるよ♪」レベルの話だと思う。信じるのが中々難しい宗教みたいなお話。でも、実践するといいことがあるかもしれないお話。
あーあー。
かったるくなったのでヤメヤメ。推敲もやめ。文章にするのって難しいですね…。
そうだそうだ。コメントにも書いたのですが、僕は「努力」を「苦労」の同意語のように使われるのが嫌いです。頑なに「本当の努力は潜在下で行われる」と信じてきたのですが、辞書を調べたら「苦労」して何かを身につけるということを「努力」と言うらしいですよ。うわーん。
【関連情報】
・論理的思考の放棄
http://d.hatena.ne.jp/softether/20070324#p1
・直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317/p1
2007年03月25日 19:08 | Etc
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コメント
努力≒夢中といった感じでしょうか?
投稿者 yach : 2007年03月31日 01:32
>> yach さん
そんな感じかも :)
投稿者 ceekz : 2007年03月31日 16:08